英語版Wikipediaにおける「AR-10」のページに、次のような記述があります。
1958年、スーダンモデルAR-10の7.62x39mm口径仕様が特別に極少数生産され、フィンランドとドイツによって性能評価が行われた ((日本語版では「フィンランドとドイツで製造され~」と訳されていますが、原文において動作主を示す前置詞 “by” は “produced” ではなく “evaluation” に掛かっていると思います。つまり、フィンランドとドイツが実際に行ったのは「評価」であり、「製造した」とするのは誤訳ではないでしょうか?))。
本来、AR-10は7.62x51mm NATO弾を使用するバトルライフルです。今でこそSR-47やCK901など7.62x39mm AK弾を使用するARは多く、珍しいとは言えなくなってきましたが、まさかこの時代から存在していたとは思いませんでした ((ちなみに7.62x39mm弾が設計されたのは1943年、AK-47がソ連軍に採用されたのは1949年です。))。
そんなわけで、この「7.62x39mm口径のAR-10」に興味を掻き立てられた僕が、これについて調べて分かったことを、以下にまとめようと思います。
「スーダンモデルのAR-10」とは
再び英語版Wikipediaの「AR-10」のページから引用します。
1957年7月4日、フェアチャイルド・アーマライト社は、AR-10を5年間生産する権利をオランダの兵器製造業者アーティラリエ・インリッチンゲン(AI; Artillerie Inrichtingen)社に売り渡した。その大規模な工場と生産設備をもって、AI社はフェアチャイルド社が望んでいたAR-10の大量生産を可能にした。
銃の専門家たちは、AI社のライセンスの下に生産されたAR-10を、少なくとも3つの基本的なバリエーションに分類している。(中略)3つの主なバリエーションはそれぞれ、スーダンモデル、トランジショナルモデル ((ある日本語文献では「トラディショナルモデル」と表記されていますが、正しくはスーダンモデルとポルトガルモデルの中間であることから “transitional”(過渡期の~)であり、”traditional”(伝統の~)ではありません。))、そしてポルトガルモデルと名付けられている。これらは全てAI社によって生産され、最初に生産されたのがスーダンモデルのAR-10である。スーダンモデルは、スーダン政府が1958年におよそ2,500挺を購入したことからその名が付けられた。このモデルは、細身で叉状のフラッシュサプレッサーがついたスティール製の超軽量フルーテッドバレルと、ベヨネットラグ、ファイバーグラス製の軽量パーツ ((銃器関連の文献ではよく見られる “furniture” の語ですが、適当な訳語が見つからず毎回「パーツ」と訳してしまいます(本来の意味は「家具」)。多くの場合、グリップやストック、ハンドガードなどを指しますが、良い訳語をご存知の方いらっしゃいませんか……?))、そしてアラビア数字が振られた照準調節ダイアルを備えている。スーダンモデルの重量は空のマガジンを含めて僅か3.3kgであった。価格は、クリーニングキットと4本のマガジンが付属して1挺あたり225米ドルであった。
つまり、「スーダンモデルのAR-10」とは、アーマライト社から生産権を買い取ったAI社が生産したAR-10の中でも初期のモデルであるということです。
Wikipediaによると、AI社はAR-10の大量生産にあたってオリジナルのアーマライト社製AR-10に対して数々の修正・改良を加えたようです。例えば、ガス直噴方式で作動するAR-10には欠かせないガスチューブは、オリジナルのアーマライト社製AR-10ではバレルの左側面に配置されていました。現在のAR-15にも見られるように、ガスチューブがバレルの真上に配置されるようになったのは、アーマライト社の要求に基づいてAI社が改良を加えたためだとされています。AR-10の発展およびAR-15の誕生には、AI社が大きく関わっていると言えます。
7.62x39mm口径のAR-10
その明瞭な写真を求めてあちこち探した結果、Small Arms Illustratedにて発見しました。
どこか合成写真のようにも見えますが、ご覧のようにAKマガジンを使用しています。また、そのためにマグウェルが大きく削られていることや、マガジンリリースがAK-47のようなレバー式ではなくボタン式であることも注目すべき点です。
基本的なデザインはスーダンモデルのそれを踏襲していますが、バレルとハンドガードが短縮化され ((Wikipediaによれば7.62x39mm口径のAR-10が生産された1958年、KLMオランダ航空の要請に基づき、サバイバルキットの一つとして極地横断便の乗組員へ支給することを目的に、16インチバレルのカービン仕様AR-10が開発され、最終的におよそ30挺が生産されたようです。))、キャリングハンドルがフラットな形状になっているのが特徴的です。
更に調べていくと、オランダには「レーガーミュージアム」(Legermuseum)と呼ばれるオランダ陸軍の国立博物館があることが分かりました。オランダ在住のARFCOMユーザーであるar10stef氏曰く、レーガーミュージアムには「今までに作られた全ての(AR-10の)モデルが展示されている」そうで、7.62x39mm口径のスーダンモデルAR-10も展示されているとのことです ((AR10’s galore in the Dutch Army Museum… – AR15.Com Archive))。
貴重な展示物を手に出来ることにも驚きですが、現物が写っている写真はこれしか見つかりませんでした。
ショートバレルやマグウェル、キャリングハンドルなどの特徴はSmall Arms Illustratedの写真と共通していますが、この写真に写っているマガジンは「AKマガジンらしくない」ことが引っかかります。「カーブがキツい5.56mm NATO弾用アルミマガジン」のようにも見えますが、このような7.62x39mm弾用マガジンは実際に存在するのでしょうか?
何故フィンランドとドイツなのか
冒頭で引用したWikipediaの記述にある通り、この7.62x39mm口径のAR-10は、フィンランドとドイツによって性能評価が行われました。一体何故、フィンランドとドイツは7.62x39mm口径のAR-10に関心を示したのでしょうか?
当時のドイツは東西に分断されていましたが、もしもこの「ドイツ」がドイツ民主共和国(東ドイツ)であったとしたら、フィンランドと東ドイツに共通するのはソヴィエト連邦の影響を強く受けているということです。
フィンランド国防軍のサービスライフルであるヴァルメ/サコーRk 62と、国家人民軍(東ドイツ軍)のサービスライフルであったMPi-Kは、どちらも7.62x39mm弾を使用するAKヴァリアントです。また、フィンランド国防軍はかつてRk 54としてソヴィエト製のAK-47を使用していたこともあったようです ((Equipment of the Finnish Army – Wikipedia, the free encyclopedia))。
なおar10stef氏によれば、7.62x39mm口径のAR-10は元々フィンランド政府の要求に基づいて開発されたもので、それはRk 62の採用が決定される前のことだったそうです ((AR10’s galore in the Dutch Army Museum… – AR15.Com Archive))。Small Arms Illustratedの写真にある「フィンランド陸軍トライアル仕様」のキャプションからも、そのことが伺えます。
新型サービスライフルの選定において、既存弾薬の蓄えは大きな影響を及ぼします。アメリカがM1ガーランドを採用した大きな理由の一つにも、「.30-06弾が大量に余っていたから」ということが挙げられます ((M1 Garand. – YouTube))。どの国の軍隊も、弾薬の蓄えを無駄にしたくはないものです。7.62x39mm口径のAR-10が開発されることになった背景にも、そのような事情があるのだと思います。逆を言えば、わざわざ7.62x39mm口径仕様を作って欲しいと要請するほど、AR-10が魅力的なライフルであったということかもしれません。もっとも、結局AR-10はフィンランドにもドイツにも採用はされませんでしたが……。